人間國寶 李梅樹

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寺廟芸術の粋集め
河田 卓司 | 読売新聞夕刊/遊歩人 | 1999年12月20日
 台北郊外の三峡は、二百数十年前、中国・福建省の安渓から渡ってきた人々が作った町だ。かつては材木や茶、樟脳作りで栄光たが、今は普通のベッドタウンになりつつある。ここに、建設開始から半世紀を経て、いまだに建設途中の廟がある。地元出身の画家が「寺廟芸術の殿堂」にしようと半生をかけて取り組み、死後も関係者が遺志を継いで作業を続けている。

 橋を渡って三峡の町に入ると、強い陽光に輝く甍が見えた。「清水祖師廟」。大きさは普通の廟と変わらないが、中に入ると、豪華さに圧倒される。石柱の竜などの細かい彫り。天井や梁、壁の金ぱく塗りの彫刻群。廟全体が精密な彫刻、装飾から成り、独特の小宇宙を形作っている。

 「李梅樹教授が中国式の建築文化の粋を集め、後世に残そうと建設を始めました。一九四七年のことです」。出迎えてくれた鄭有財(75)が説明した。鄭さんは李の女婿で、八三年の李の死後、作業を引き継いでいる。

 李梅樹は台湾近代画壇を代表する画家の一人。一九〇二年に三峡に生まれ、東京美術学校(現在の東京芸大)で洋画を学び、台湾師範大学教授などを務めた。その李が廟の建設を思い立ったのは、芸術への情熱と郷土への愛着からだった、と鄭さんは言う。

 祖師廟は一七六九年の創建。祖師とは北宋末の忠臣、陳昭応のことで、モンゴル族の侵攻に勇敢に戦った。死後、福建省・安渓で郷土の神としてまつられ、三峡でも廟を作って信仰してきた。最初の廟は一八三三年の地震で倒壊。再建後、一八九五年に台湾を植民地とした日本軍との戦いで焼かれた。李梅樹の建設は三回目の再建にあたる。

  「教授は、老朽化した廟を見て一人で再建に乗り出した。一流の木彫り師、石彫り師らを集めて作業させ、石柱一本に三年かかることもあった。満足しないと、初めからやり直しという厳しさでした」

 廟は「三門五殿の南方建築」という。前殿と中殿は完成したが、後殿はまだ手つかず。完成時に石柱は百五中六本となるが、今は百二十二本だ。前殿、中殿でも彫刻を加え続けている。百年の作業を経て未完成の、スペインの建築家、ガウディの「サグラダ・ファミリア教会」に似ている。かつて、廟を訪れた作家、立松和平も著書に「台湾のガウディ」と書いた。

 ただ、芸術至上主義は時間と資金が膨大にかかるだけに、曲折も伴う。鄭さんも「廟の役員会の方針で今、彫刻は外注となった。専門家の指導がないので、刻みもやや雑です。李教授に申し訳なくて……」と漏らした。強烈な個性の亡き後、後継者たちの厳しい作業が世紀をまたいで続いていく。

メモ 台北から三峡はバスで1時間弱。李梅樹の作品を集めた「李梅樹紀念館」があるほか、今世紀初めに建てられたレンガ造りの古い街並み「老街」も残る。三峡の隣、鴬歌は台湾きっての陶器の町。大渓の町も老街が有名で、観光スポットになりつつある。

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